真の欲求を見極める
毎晩潮風にあたりにいくと、日中の雑念がするすると洗い流されていき、とてもとてもさっぱりする。
そして、自問自答する。
今の自分が心の底から欲しいものは何だろうかと。
人間、本当に欲するものを追いかけるとき、誰かに嗾けられるのとは次元の違う莫大なエネルギーを発露することができる。
だからこそ、本質的に心の底から欲している事柄を明確にするべきなのだ。そこさえ意識することができるなら、あとは戦略戦術戦法が忠実なしもべとして欲求を追いかけてくれる。
この順序が大切。
如何に凄そうな戦略戦術戦法も、従うべき主が不在では、前進ということを観念できないのだから。もしくは、手段の目的化に邁進することが目に見えている。
夜の湘南の潮風が、毎日僕の頭を冷やしてくれる。そして、今日と明日の連続性を改めて意識させてくれる。どれだけ進捗したかも自ずと捉えられる。
そんな静かで、だけど内に秘めた熱に触れられる時間が好きだ。
企業勤めVS起業自営 論の源流を考える
今朝ふと思ったこと。
会社に勤めることと、起業や自営することは相反する概念として語られるけと、そういう二項対立的な捉え方は、ちょっと的外れかなと感じているということ。
起業して上手く当てたことも、所謂市場最大手のリーディングカンパニー勤めも、両方経験している自分としては、人生戦略の局面毎に、起業も企業勤めも使い分ければいいと思ってる。
例えば、企業勤めの魅力を挙げるなら…
- 圧倒的に無責任。責任は取りようが無い
- 社内ニートでも過分な賃金が払われる
- 採用基準が高い為社員の能力人格が高い
- 社会的インパクトある仕事を担当できる
- 業務の大半を関連会社に丸投できる
- 仕事の失敗は不問。成功は自分のものに
- 取引先から過分な接待を受けられる
- 予算消化の名のもと買い物ができる
- 年間の三分の一が休日。十連休が年数回
- 書類上は華麗なキャリアが貯まっていく
- 社会的クレジットで与信がスムーズ
- 適度な緊張感と規則正しい生活ができる
- 情報収集や調査のインフラが整ってる
- 悲観的に見ても半年一年の生活は安定的
- オフィスの立地や設備が良い
- 尊敬できる先輩や同期から刺激を貰える
- 優秀な後輩を可愛がれる。慕われる
- 総合的に高スペック異性との接点が多い
- 合コンや婚活サイトの初動がやりやすい
といったところが挙げられる。
一方、起業の良い点を挙げるなら…
- そもそも企業勤めの良い点が霞んで見えるほど、圧倒的な成功を体験できること!
- そしてとにかく自由!
具体的には…
- 年収一千万じゃなくて、月収一千万
- 金で満たせる欲求は概ね満たせられる
- 企業の一担当者じゃなくて、自分の名と顔がテレビや新聞に載る
- 衣食住における制約が著しく無くなる
- 誰かから指図されることが激減する
- 遊びも恋愛も強烈なカードを切れる
- 自分と似たような連中と非常識なことを色々できる
こんなところ。
どちらも魅力的でしょ。
ただ、人間は飽きる生き物だから、いずれの状況も長く続くと面白くなくなってくる。しかも、自分の本質的な思考や成長というものが実はどこかのタイミングで止まっていて、ただ猛烈な惰性で生きている時間が長くなってくると、人生の次なる展開が効かなくなってしまい詰んでしまう。あまりにも快適であったり、刺激的であったりという時間に現を抜かしてしまうのだ。
ある種ピーターの法則とでもいおうか、成功によるレバレッジの拡大が結局大きな破滅を招いてしまうのだ。そして、その予感を感じる時、人間は対照的な世界に住む人間のことを否定的に捉えたくなってしまいがちだ。隣の芝生は青いの強烈なバージョンとでもいおうか。
世の中に流布されている企業勤めVS起業自営 論の源流は、結構ここで語ったことが大きく影響しているのではないだろうか。
やっかいなのは、片面的には両者とも正しいということ。
各論正解で総論不正解という構図。どちらかの陣営で声高に叫ぶよりも、その奇妙な構図から抜け出し、ゼロベースでワクワクする人生を歩んだ方が建設的なのは間違いないだろう。
少なくとも、僕はそうやって生きていきたいし、現にそうしているつもりだ。
穏やかな波と強い風の朝
きょうは朝日の出る頃から波乗りへ。
波は穏やか過ぎるコンディションだったので、ひたすら海面をプカプカ浮いたり、泳いだり、眺めたり。黄金の朝日を浴びながら、強い風の飛も浴びながら、ただぼーっとしていると、今週一週間の雑念も綺麗に流され消えていく様で、時間とともに心身にエネルギーが再注入されていることを感じた。
波があってもなくても、それだけで十分ぼくは嬉しい。いつも異なる表情を見せる海だから、その都度それを楽しみたい。
さて、きょうはこれから終日SFCへ。
じっくり研究に取り組もう!
JR新橋駅 23時57分発小田原行きは藤沢方面の終電
そう。六本木暮らしでは観念しえない終電という存在。片瀬江ノ島へ帰るには、この新橋駅23時57分発の小田原行きに乗らないといけない。
だから、合コンだって早く切り上げる。そもそも即日ベットインする作戦じゃないなら、ダラダラ夜中まで飲む必要は全くない。一次会である程度のブランディングをして、バンゲしたらそれでOK。近いうちに丸ノ内で飲むか、いっそのこと湘南でアポればよい。
鎌倉フィルターという言葉を聞いたことがあるけど、湘南においても間違いなくそれはある。それはすなわち、ある程度本気じゃないと、この距離を動いてアポろうというモチベーションが生じないということ。六本木にいるとそこが難しくて、ついつい安易なアポをいれてしまい何度も後悔したことがあった。『あぁ、家で論文でも読んでいた方が一兆倍良かった…』というやつ。そういうことにならなかったことに今日は嬉しさを感じた。
今夜も誰もいない真っ暗な砂浜をブラブラしてから帰ろう!
そして、明日は朝日と共に波に乗る!
自分はアバグネイルであり、ベルフォートであり…
戦略的に道化になりきること。その景色を客観的に見てる自分を楽しむこと。そして、それをやり切り真の目的を実現することにプライドを持とう。
戦略的本質部分だけは徹底的にシビアでいるが、その他、非戦略的付随事項は『(笑)』でいい。一笑に付すのだ。いい加減さテキトーさを楽しむのだ。むしろどこまで手抜きで通用するか挑戦するのだ。
自分は人生というリアルタイム舞台の役者なのだ。
ミクロでみたらひどい悲劇でも、マクロでみたら抱腹絶倒の喜劇であることも多い。もちろん、その逆も。
湘南中心の生活スタイルになってから、自分をとりまく潮流が明らかに変化して来ていることを実感している。通勤時のハプニングやSFCでの出来事などなど。画として面白いことが連続してくる予感がしてる。だから、そのひとつひとつを名演してサーフしていきたい。
猛烈な汐風
昨晩は海辺を通って自宅へ帰ったけど、一漕ぎもせずとも辻堂海岸まで辿り着けるレベルの猛烈な汐風。ちょっと身の危険を感じるほどで、看板やらなんやらが映画みたいに飛び散らかって来た。
けれど、こういう猛烈な汐風に揉まれると自然と笑ってしまう自分がいた。そして、細かな気がかりごとなんぞ、吹き飛んでしまった様な爽快感を感じた。
そういえば、子供の頃は台風の日に外出歩いたりしてたな、なんてことも思い出した。
あれこれいわずに目の前のことに全力になれるのは子供の特権だけど、猛烈な汐風を前にしたら大人も一瞬そこへ戻れる様だ。