波と書

波を愛し、六本木住まいを捨て、湘南へ。そんな人間の思索の記録。

望んだ日々 望んだ軌道

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朝から海へ出て、そして、仕事に行き、
バランス維持した状態で働き、
夜はSFCでの時間を過ごせた。
派手さは何もないけれど、ある種学生の様なモラトリアムが自分には必要だから、きょうみたいな一日は自分にとって望んだ日々といえる。

常識から逸したアクションは、それだけ不安やプレッシャーが掛かるけど、毎度自分は乗り越えてきた。そして、きょうもまたそれができることを証明できた。

この軌道が描く臨むべき着地点に必ず辿り着こう。

波が喉に沁みる

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朝からサーフィン。
今日はいい波だった。
まだまだはじめたばかりだけど、
場数を踏むことと、テイクオフ毎の微調整を積んでいくことで、着実に技量が上がっていくことを実感してる。
こういう意思と行動の一体感…自己同一性が調和してるとでもいうべき時間が真の健康なんだなっと思った。

静寂に耳を澄ます

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都心の喧騒は昨日まで。
きょうは静寂に耳を澄ます。
呼吸をする。深く永く。

気を紛らわせる、煩わせる、妬ませる。
そんな要素がからっきし無い贅沢さが、本質を直視する時間を与えてくれる。

余計なものを投げ捨てるから、それ故の淋しさもあるけれど、新しく生まれたスペースには、きっと新しい佳き何かが収まるはず。そんな予感がしている。

海洋人が超都心で暮らすに至った経緯

僕は自分のことを海洋人と思ってる。

生まれて大学を出るまで、ずっと海の見える世界で暮らしていた。
 
学部3年の冬、僕は大学院に進むつもりだった。小さい頃から経済の仕組みに興味を抱いていて、その好奇心はすくすくと成長し、大学では経済学系の賞も幾つか取るほどまでになっていた。教授からも強力な応援を受けていた。
 
学部3年の冬というのは、世の中でいうところの就活が本格化する時期。日系企業に進むなら、年明け2月あたりは、所謂エントリーシートの提出ラッシュの時期。
 
僕はゼミの友人などからエントリーシートの添削をよく依頼された。自分は専門科目以外の授業には殆ど出ていなかったから、試験前には毎度ゼミの友人などに助けてもらっていた。だから、そのお返しとしてエントリーシートの添削を引き受けていたのだ。
 
添削を手伝う内に、元々興味のカケラも無かった就活というものに、興味を抱く様になった。そして、自分はマクロ的な観点での経済というものに傾倒しすぎていると考える様になった。
 
そこで、自分も就活をしてみることにした。ずいぶん周りより参入が遅くなってしまったが、〆切に間に合う10社ほどにエントリーシートを出すことができた。
 
各社選考過程では、色々エピソードがあったけれど、結果的に、所謂紙媒体の大手マスメディア企業に内定をもらった。
 
大学院進学の準備は並行していたから、進路については少し悩むところもあったけれど、結局、巨大マスメディアの中の風景を覗いてみて、合わないなら辞めて大学院に行けばいいとの考えに至り、サラリーマンになることを選択した。
 
そして、大学卒業と共に、東京へ。
 
仕事は忙しいと聞いていたから、オフィスから徒歩3分のところに住んだ。高層ビル群の中にあるレジデンスだった。
 
海岸の近くにいない生活は、こうしてスタートしたのだった。